2013-05-26

すこし

すこし、Tumblr更新しました。
是非見てください。

http://hannahnkmt.tumblr.com/

どんなことでもかまいません。
ご感想、ご意見お待ちしてます。。。

生きられる空間、とはなにか?



最近、『生きられる空間』という言葉がついてまわる。

これは、フッサールやベルクソンの時間論に影響を受けた精神医学者のE・ミンコフスキーが、『生きられる時間』と対にして提示した言葉。

生きられる時間が存在するように、生きられる空間も存在する。空間はわれわれにとって決して幾何学的な諸関係に還元されるものではない。幾何学的な関係は、われわれが単に好奇心の強い観客や学者の立場に立って、あたかもわれわれは空間の外にいるかのようにして、組立てるところの関係である。しかしながら、われわれは空間の中で生きそして行動しているのである。(Minkowski, 1933, p.367, 強調原文)

この『生きられる空間』という言葉を自分の中に飲み込んだとき、
そこには必ず自分自身の身体の体積がある。

私が私である限り、この持っている身体が基準になって、空間や環境、動きを決めていく。たとえば、私が歩いていく一本の道でも、自身の足で進む一歩一歩によって、生きられる空間はつくられていく。
そして、身体がなければ、そこに生きられる空間は存在しない。
私たちがどのような幻覚を見るかは関係なく、数学的なベクトルで示された空間、ただ均一で一定の無機な広がりしか存在しない。


そして自分の身体を軸にして空間を確かめていくとき、
"一人分の空間"という感覚も同時に生まれる。

私たちの生活を見渡せば、そこには既に与えられた一人分の空間があふれている。
それでも、あくまで個々の身体を軸にするならば、一人分の空間というものは、どれも均一で一定であってはおかしいし、私は、『生きられる空間』における『一人分の空間』というものをとらえ直してみたいと思う。

食べて、動いて、排泄して、
その生理現象のサイクルによって存在する身体が存在することで、
はじめて実際の空間は生まれていく。

そして、そこにある空間によってまた、
私自身の身体にも限界と自由が与えられると感じている。